夕暮れ散歩


by yamayusaku
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久しぶりの山頭火 「其中庵」 。。。。

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昨日12月5日 二カ月ぶりの眼科の定期健診に出かけました
受け付け順の医院だから二時間待ちになるので
散策方々 近くの種田山頭火の 「其中庵(ごちゅうあん)」 に行きました


これは休憩所前の山頭火の句碑です
解説文には山頭火の母を思う心情が語られていました



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  種田山頭火は、山口県西佐波令村(現・山口県防府市大道)の大地主の出身。
  11歳の時、母が自殺した。
  旧制山口中学(現山口県立山口高等学校)から早稲田大学文学部に入学したが、
  神経衰弱のため中退した。その後、帰省し療養の傍ら家業である造り酒屋を手伝った。

  1910年(明治43年)結婚し一児をもうけた。
  1911年(明治44年)荻原井泉水の主宰する自由律俳誌『層雲』に寄稿。
  1913年(大正2年)井泉水の門下となる。
  その後、家業の造り酒屋が父親の放蕩と自身の酒癖のため破産し、
  妻子を連れ熊本市に移住した。
  古本屋を営むがうまくいかず、1920年(大正9年)離婚。妻子を捨てて東京へ出奔した。

  1923年(大正12年)関東大震災に遭い熊本の元妻のもとへ逃げ帰った。
  熊本市内で泥酔し、路面電車を止めたところを顔見知りの記者に助けられ、
  市内の報恩禅寺(千体佛)住職・望月義庵に預けられ寺男となった。
  1924年(大正14年)得度し「耕畝」と改名、味取観音堂の堂守となる。

  1925年(大正15年)寺を出て雲水姿で西日本を中心に旅し句作を行ない、
  旅先から『層雲』に投稿を続けた。
  
  
  1932年(昭和7年)郷里山口の小郡町(現・山口市小郡)に「其中庵」を結庵
したが、
  体調不良から来る精神不安定から自殺未遂を起こす。
  その後東北地方などを旅した後、1938年(昭和13年)には同町湯田温泉内の
 「風来居」、さらに1939年(昭和14年)松山市に移住し「一草庵」を結庵。
  翌年、この庵で生涯を閉じた。享年58。(ウィキペより)




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この日の「其中庵」は紅葉はすでに散り

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ススキの似合う庵に変わり果てておりました

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現在は山口市の管理で綺麗に整備されていますが
休憩所内の写真では当時の草ぼうぼうの写真が残されています


ウィキペでは山頭火が結庵したように書いてありますが
地元の国森氏の篤志により庵が提供されています
この時代のお金持ちって凄いですねぇ !!


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「其中庵」の片隅にはモミジが最後の力をふりしぼって
真っ赤に色づいておりました


約一時間 悠作一人ぽっちの「其中庵」見物でありました



" 放浪の山頭火の句を認めつつ庵与うる人の大きや (やまぐち二茶) "


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by yamayusaku | 2011-12-06 06:30 | 山口ぶらぶら